
EOS60D / SIGMA18-50mmF2.8-4.5DC OS HSM (Suzuka, 2012.8)
1782(天明2)年、伊勢白子を発った千石船「神昌丸」は遠州灘にて大嵐に遭遇。
7ヶ月間海上をさまよった後、アラスカ近く、アリューシャン列島アムチトカに漂着した。
ロシア人に救助された一行は帰国に向けて奔走するも、江戸幕府が対外交易が厳しく制限していた時代、それは困難を極めた。
船頭・光太夫以下乗組員17名のうち、無事帰国を果たしたのは光太夫、小市の2名のみ。
他2名がロシアに帰化し、その他の者は旅の途上で命を落とした。
光太夫らが開国を迫るロシア使節に伴われ蝦夷地へ降り立ったのは1792年。
遭難から10年目のことである。
写真の供養碑は1784(天明4)年、乗組員全員が遭難死したものとして建立されたもの。
風化しかけた石肌に、僅かに「光太夫」の文字が見て取れる。
尚、「神昌丸」一行のうちロシアに帰化した「新蔵」は、その後ロシア帝国政府の通訳官として活躍。
後年ロシアへ漂着する石巻の千石船「若宮丸」一行の帰国にも尽力している(→
111101記事)。
また光太夫の旅路については井上靖著「
おろしや国酔夢譚」、椎名誠著「
シベリア追跡」に詳しい。
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