スクンビット総合研究所 - Sukhumvit Research Institute:Turkey
2015-05-05T13:54:58+09:00
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旅、アジア、写真、カメラについて。富士X-T4と地味な単焦点レンズを愛用中。
Excite Blog
イスタンブール 旅の終わりのワイルド床屋
http://inya.exblog.jp/21138946/
2013-09-25T23:49:00+09:00
2015-05-05T13:54:58+09:00
2013-09-25T23:50:01+09:00
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Turkey
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
帰国間際、ホテル近くの理髪店、その名も「AYA SOFYA」でサッパリ。
にしてもエディルネ門で出会ったおやっさん(→130923_00:27記事)に似てるなぁ。
これにて8月のトルコ編、おしまいです。
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イスタンブール エジプシャン・バザールにて
http://inya.exblog.jp/21131146/
2013-09-25T01:09:00+09:00
2015-05-05T13:54:16+09:00
2013-09-25T01:09:10+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
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イスタンブール 今も残るギリシア人の痕跡
http://inya.exblog.jp/21130998/
2013-09-25T01:04:00+09:00
2015-05-05T13:53:20+09:00
2013-09-25T01:03:18+09:00
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EOS60D / EF40mmF2.8STM (Istanbul, 2013.8)
下町フェネルに、廃墟と化したギリシア正教徒の邸宅(教会?)が残されていました。
EOS60D / EF40mmF2.8STM (Istanbul, 2013.8)
いったい何を以てヨーロッパと呼び、何を以てアジアとするのか。そんなテーマを突きつけられる旅でもありました。
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イスタンブール 下町フェネルの子どもたち
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2013-09-25T00:56:00+09:00
2015-05-05T13:51:51+09:00
2013-09-25T00:56:37+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
今回の旅で歩いた中では、この界隈が最も下町らしい、歩き甲斐のある一角でした。アジアの果ての北千住といった趣です。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
トルコ行脚はもう少々続きます。
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イスタンブール モンゴルの聖マリア教会
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2013-09-25T00:34:00+09:00
2015-05-05T13:50:04+09:00
2013-09-25T00:34:49+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
13世紀、ビザンツ皇帝の娘マリアは政略結婚によりイル・ハン国(今日のイランにおけるモンゴル人政権)の王、フラグ・ハン(チンギス・ハンの孫に当たる)のもとへ嫁いだ。しかし到着を間近にしてフラグ・ハンは他界、やむなく彼女は王子アバガ・ハンの妻となった。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
マリアはその後十数年間をイル・ハン国の宮廷で過ごすも、夫であるアバガ・ハンがあろうことかその弟に殺されたため、未亡人となってしまう。コンスタンティノープルに戻ったマリアに皇帝は強く再婚を勧めたが、彼女はこれを拒み、「神の聖なる母教会」に隠遁して余生を送ったという。
マリアの足跡により、この教会は「モンゴルの聖マリア教会」と称されるようになった。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
教会はフェネルと呼ばれる下町の坂上に位置しており、長らくギリシア人学校として使われている。メフメト2世によるコンスタンティノープル攻略後も、この一帯はギリシア人の居住、信仰が認められてきたのである。但し周辺には地震によるものか老朽化によるものか、崩れかけた家も散在しており、経済的に豊かな地域とは言い難いようだ。
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イスタンブール 聖ステファン教会、今も残るブルガリア人の礎
http://inya.exblog.jp/21116162/
2013-09-23T01:23:00+09:00
2015-05-05T13:48:04+09:00
2013-09-23T01:23:36+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
聖ステファン教会は1871年、ブルガリア正教会がギリシア正教会から分離を果たし建立されたものである。
また優美な外壁は、鋳鉄製だという。
この地に暮らすブルガリア系住民はどのような思いで教会を見つめているのだろうか。
訪れた際は修復工事中であり、人の気配は全くなかった。
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イスタンブール 聖ゲオルギオス大聖堂に残る双頭の鷲
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2013-09-23T01:03:00+09:00
2015-05-05T13:47:23+09:00
2013-09-23T01:03:28+09:00
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EOS60D / EF40mmF2.8STM (Istanbul, 2013.8)
双頭の鷲は東ローマ帝国の紋章である。
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イスタンブール エディルネ門、征服王の入城を見つめた城門
http://inya.exblog.jp/21115894/
2013-09-23T00:27:00+09:00
2015-05-05T13:46:49+09:00
2013-09-23T00:27:44+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
エディルネ門は1453年、コンスタンティノープルを攻略したオスマン皇帝メフメト2世が入城を果たした城門である。イスタンブール郊外には、今尚ローマ時代から続く城壁が数多く残されている。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
トルコ史にその名を刻んだエディルネ門だが、一般の人びとの関心はさほど高くはないようだ。門の市街地側はバスの発着場として使われており、観光客の姿は見えなかった。
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イスタンブール ハイダルパシャ駅の黄昏
http://inya.exblog.jp/21060054/
2013-09-17T22:39:00+09:00
2015-05-05T13:45:46+09:00
2013-09-17T22:38:51+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
トルコ国鉄アジア側ターミナルであるハイダルパシャ駅は、20世紀初頭、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世より贈られた駅舎として知られている。世に言う3B政策の一環として建設されたものだが、壮麗な外観は政治的なきな臭さを忘れさせるに十分だ。
尚、現段階では長距離列車の運行は行われておらず、隣駅がその役割を担っている。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
眼前にはボスポラス海峡に面した港が広がる(右手の建物が駅)。
ヨーロッパサイドに戻るフェリーが出航する頃、ハイダルパシャ駅は夕闇に包まれていった。
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イスタンブール ヨーロッパからアジアへ
http://inya.exblog.jp/21051891/
2013-09-17T01:11:00+09:00
2015-05-05T13:42:44+09:00
2013-09-17T01:12:02+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
ヨーロッパサイドからアジアサイドへ渡る船上にて。
彼方にガラタ塔(→130825_14:24記事)が見える。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
ウズベキスタン人のおばあさんと孫。
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イスタンブール ハレムの午後
http://inya.exblog.jp/21051801/
2013-09-17T00:57:00+09:00
2015-05-05T13:41:28+09:00
2013-09-17T00:56:58+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
「ハレム」というと、とかく卑猥なことばかり連想してしまうが、実際には権謀術数うごめく権力争いの場という側面が強かったようだ。奴隷として連れてこられて皇妃に上り詰める女がいる一方で、一生涯幽閉され精神を病んでしまう皇子も存在したのである。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
一般の女たちの部屋の内部は公開されていないが、外観から察するに決して華美な世界ではなかったようだ。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
最も私の好奇心を刺激したのはこの守衛室。任に当たったのは黒人の宦官だったとのこと。
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イスタンブール アヤ・ソフィア瞥見
http://inya.exblog.jp/21044893/
2013-09-16T16:50:00+09:00
2015-05-05T13:39:01+09:00
2013-09-16T16:50:06+09:00
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EOS60D / EF40mmF2.8STM (Istanbul, 2013.8)
ビザンツ帝国時代、ギリシア正教の総本山だったことで知られるアヤ・ソフィア。1453年、市内に侵入したオスマン兵はこの聖堂に避難していた人びとも容赦なく捕虜として連れ去ったという。
そしてキリスト教のイコンは漆喰で塗りつぶされ、聖堂自体はモスクに改修された。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
20世紀、アメリカ人研究者らの手によりかつての姿が日の目をみると、成立して間もないトルコ共和国政府は聖堂を「博物館」とした。このあたり、世俗主義を掲げる新国家のしたたかな方策のようにも思える。
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イスタンブール 伝説の店、プディング・ショップのおやじ
http://inya.exblog.jp/21044060/
2013-09-16T15:17:00+09:00
2015-05-05T13:36:48+09:00
2013-09-16T15:17:56+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
イスタンブール旧市街に位置する西洋料理店「プディング・ショップ」は、東西を行き交うヒッピーたちの情報交換の場として知られていた。沢木耕太郎氏も「深夜特急」の旅の途上この店に立ち寄っており、店内の掲示板でアムステルダムまでの同乗者を求める張り紙を目にしたときの心情を、「旅の終わり(注:ロンドンのこと)が不意に現実的なものになってきた。そのことにまったく用意のできていなかった私はうろたえてしまった」と綴っている。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
もっとも沢木氏は「ヒッピーが屯するその雰囲気が余り好きになれなかったことと、値段のわりに料理がおいしくなかったから」ほとんど出入りしなかったそうだが、今でも店内の一部には掲示板が残されている。記念に貼っていくのか、比較的新しいメッセージも目に入った。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
上の写真の男性によると、店内は数回改装工事が行われているものの、開業当初から移転はしておらず、経営者一家も当時のままだという。しかし、沢木氏が頻繁に出入りしたという隣地の「ホテル・グンゴール」は残念ながら現存しない。
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イスタンブール 皇妃ギュルバハル霊廟
http://inya.exblog.jp/20980284/
2013-09-09T00:39:00+09:00
2015-05-05T13:34:53+09:00
2013-09-09T00:40:05+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
メフメト2世の命で建立されたファーティフ・モスク(→130908_18:24記事)の裏手に、皇妃ギュルバハル(後のスレイマン大帝の皇妃ギュルバハルとは別人)の霊廟が佇む。彼女にまつわる伝説として下記のようなものが知られている。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
ギュルバハルはフランス王の娘として生まれ、ビザンツ皇帝に嫁ぐべく、コンスタンティノープルへ旅立った。しかしメフメト2世率いるオスマン帝国軍は既に同地を包囲しており、彼女は捕われの身となってしまう。
間もなくビザンツ帝国千年の都であったコンスタンティノープルは陥落、夫となるべき皇帝は非業の死を遂げた。
彼女の数奇な運命はそれで終わらなかった。メフメト2世は亡き敵将の婚約者をハレムに入れ、後に妻としたのである。ギュルバハルはオスマン帝国の后となった後もイスラムへ改宗せず、終生キリスト教徒であり続けた…
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
しかし残念ながらこの話は史実ではないらしい。
そもそもこの時代のフランス王で、ビザンツ帝国に娘を嫁がせ、かつその娘がハレムに入れられたという人物は確認出来ない。
どうやらアルバニアないしセルビアに出自をもつ、奴隷または捕虜として連れて来られた女性だったようだ。ハレムという特殊な空間ゆえに、人びとの憶測や好奇心が伝説を生んだのだろう。
後世にドラマチックな逸話を残した皇妃がこの世を去ったのは、1492年。コンスタンティノープルがイスタンブールと名を変えてから39年後のことであった。
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イスタンブール ファーティフ・モスクの光芒
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2013-09-08T18:24:00+09:00
2015-05-05T13:32:58+09:00
2013-09-08T18:24:44+09:00
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EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
ファーティフ・モスクは、コンスタンチノープルを攻略し、「イスタンブール」を築いた征服王メフメト2世の命で建立された。
EOS60D / EF24mmF2.8 IS USM (Istanbul, 2013.8)
敷地内にはメフメト2世の霊廟もあり、棺を前にコーランを唱えるトルコ人も多い。
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